小沢事件。民主党支持者の「検察」批判が目立つ。倫理的にはまったくめちゃくちゃだが、小沢を失脚させてしまうと民主党の「改革」が出来なくなると云う強迫観念からだろう。みんなあまりに「ニワカ政治家」すぎるのじゃないかな〜。悪いものは悪いのである。こういうときは「原点に帰って」考えるべきだ。
「政策目的実現のためには(少々悪辣なことでも)手段を選ぶべきでない」というマキャベリ型の考え方は真理である。でも、小沢の「政策目標」は何だったのか? 「二大政党間での政権交代を可能にするシステムの実現」のための「政治権力の獲得」以外には何も具体的なものはなかった。この目標は既に実現されている以上、小沢の歴史的役割はもう終わったと言っていい。
収賄を立証するには小沢の職務権限から難しいという三百代言的弁護はもうたくさん。ビジネスをしている以上、誰かに商売を潰されてしまうかも知れないというリスクは、多少のお金を払っても回避するべきものなのである。小沢はその企業の「リスク回避本能」をうまく利用し、合法的に国民の税金をピンハネして自分と自分の家族のために蓄財をした。これだけで十分である。小沢がそれで生きてきた田中角栄的「イナカの金持ちに国民のおカネをバラマキ、政治家がその見返りを得る政治」とは、いよいよバイバイする時がきている。ニッポン国民は、それではじめて、戦後の日本を歪めてきたイナカ重視の田中角栄的価値観の呪縛から解放されることが出来るのである。
小沢なしでは参院選に勝てないという。まあ、それもいいではないか。民主党のニッポンが近衛文麿的(旧自民党的)「翼賛政治」になってしまったら、もっと困る。国会が機能しなくなると言うが、バラマキ法案などは成立しない方がよほどニッポンのためだ。
1 件のコメント:
ご意見ごもっとも。いつも自民党の批判ばかりで、不満でしたが、言うべき時は言ってくれますね。さすがです。
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